2023年8月 - 2

新しいiPhoneSEが届いたが画面保護フィルムが来ないので梱包を開けていない。 出荷連絡も来ない。 おやおや。 新しいものはハレなので使い続けたケの画面保護フィルムを貼ったら気絶してしまう。 潔癖かケガレ思想の持主と言われても否定はできない。

SE(第二世代)からSE(第三世代)で形は変わらないのだから今まで使っていたフィルムとケースが使いまわせる理論、ケースはいいけどフィルムは嫌じゃないか? 

 

いつの間にか現場Aと現場Bの間を取り持つ役になっていた。 Aは「それはBが知っているしそういう役割だからやらせろ」と言い、Bは「それはAが全部設定したのだから知らないし今後もAがやっていくべき」と言う。 それを聞いた私はOK!と言ってそのシステム設定に連なる作業を自分でやっている。 それは善意からの行為では全くなく、もうこんな無為なことに時間を使いたくない、この仕事を早くこの手から放したい、ただそれだけである。 そもそも私がやれば1時間で終わるしょうもない作業を誰が進めるかで揉めるのがしょうもなさすぎる。 AあるいはBにやらせれば意識のすり合わせを含めて三日経っても終わらんことは容易に想像が付くので私がやっている。 私は呆れている。

設定が完成さえすればあとは各現場に投げて終わりなのだが、システムクソ御社の動作性激ヤバソフトなので私の設定できる範囲以外で普通に不備が起こる。 おい! これパッケージソフトで他社の利用実績もあるってお伺いしておりますわ~! どうなっていて?

これはもうマジで御社の株買って「俺は株主だぞ」をやったほうがいいんじゃないですか? と上司に言っています。 自分では絶対に買いたくない。

 

日記の書き方まで指南があるのか~と目を引いた記事。 「感想を禁止して比喩を入れる」と文章になる、なるほどね。 私はもう感想を言っているので駄目かもしれない。 文章とされているものって確かに比喩は絶対入っているし、それをどう使うかを見られてる節もあるんだろう。 

そもそも「おもしろい日記」を書きたいと渇望したことがない。 古賀さんはwebライターという職に就いているしそれを公表した状態でインターネットに日記を公開しているということは少なからず他者に見せる/見られる前提だが、私は全然そんなことないしな。

 

やがて来る「老」のために「老」を知り、理解したい。 恐怖は無知から来るもので、知識があり理解をすれば幾ばくかは恐ろしくないとされている。

シニア女性は自分のことをシニアだとは思っていないのだ。ある70代のシニア女性が「私たち中年向けのファッションはない」と無意識に発言し、周囲にいた同年代のシニア女性もうなずくという機会があった。驚くべきは、70代の女性は、自分のことをシニア、高齢者ではなく中年と捉えているということだ。

また、「年齢に関する自己認識調査」(生きかた上手研究所/65~75歳の女性211人/2017年10月)によると、実年齢と知覚年齢(自分は何歳くらいだと思っているか)、他者知覚年齢(自分は周囲から何歳くらいに見られているか)には大きな乖離(かいり)があり、シニア女性は、自分のことをシニアとは思っておらず、まだ若いと考えていることがわかった。

現状己が既に実年齢と知覚年齢に相違がある、実年齢と精神性が釣り合っていないのではないか? という思いはずっとあるな。 20代半ばくらいから頭の中は全く成長していない。 これって"この年齢ならこうあるべき"とする理想が高いのか? 理想と現状のギャップで既に不安でいっぱいだった。 自分が明治大正昭和の"大和魂"を持ち合わせていないというか、比較対象を無意識にそのあたりの時代の人間にしているのかもしれない。 まぁ理想は低いより高いほうがいいから……。 そして私は別に優れた人間ではないので自分には満足していない。 

しかし、「働き続けたいけれども、疲れやすくて昔のような馬力はない」「1つ覚える、1つ忘れてしまう」というように、意識と行動にはギャップが生じており、多くのシニア女性はこのような矛盾した悩みを抱えている

自己認識ではまだまだ若いつもりが体力や記憶力の衰えは確実に発生していて、その事実から己が"老"の側へ行ったということを受け入れるのがつらいんだろう。 考えただけで悲しい話。

シニア世代は、デジタルを使いこなせていないと思っているが、実はそうではない。一人の中でもできること、できないことがあり、一筋縄ではいかないのだ。シニアをデジタルで攻略、デジタルへの誘導を実現するためには、行動を観察したり、つまずきポイントを把握したりすることが重要なのである。

これはどの年齢でもあり得る話なので老によるものかどうかは判断しにくい。 どの年代であれ使い方が分からないと試しもしない人もいる。

例えば自分の父はいにしえの時代から自作PCを何台も作ってきた今も現役MMOプレイヤーでPCやスマホの操作を聞かれたことはないが、母はまったく興味がないのでPCもスマホも端末の買い方から知らない。 

なので「君は老だからインターネット系は駄目なんでしょ?」という態度を誰に対してもやってしまうと反撃を喰らう可能性がある。 老となった"人間"に対して"老"という存在として対応してはならんと、そういう思いはずっと持っていたい。 それは普通に無礼だから。

とはいえ小さい文字や記号が見えにくくなり、要求されている動作自体は理解できても人間機能の衰えによりその通りの行動に移せない場合がある、ことは充分想定できるので……難しいからお願いね、と言われたらその言葉で伝えられた感情を汲みたい。

 

そうして考えたところで他者のことは何も分からない、男女という体のつくりから異なる存在に対しても、若や老という異なる年代のことも、なにもかもが……。

他者へ対する「ああすればよかったこうすればよかった」は無限に出てくるが、その悩みはそれが過ぎた瞬間から解決させることは不可能になるし、その時その時で最善と判断してやったことであったり己の精神状態でやむなくそのように対応したことなら「それ」として評価を含め受け止めないといけないことだ。 なので過去のあれそれしたかった、ということは意識して考えないようにしないと囚われっぱなしで病む。

このあたりはメタ視点の認知が効くらしいので「正解のないことを考えても答えは出ないからずっと悩むのは下策」ということを頭に入れておきたい。 それはそれと言う理解があったとして発作で悩むからあれだが、自分を救う言葉もちゃんと持っておきたい。