2024年9月 - 他人の家の掃除

三連休はすでに人の住んでいない家を片付けていた。
住人は私の祖父母であり、彼らは若い頃から物を捨てられない異常者で、例えばもう絶対に読んでいない古雑誌を積み上げ続けて通路を物置にしたため捨ててよいか聞くと「大切なものだから触るな」と怒りだすタイプの人間だった。そんな彼らも施設に入る寸前にはその気性の荒さは鳴りを潜めると同時に今が朝なのか夜なのかも分からなくなり、色々なものを忘れていった。
人間いずれこうなるのだなという物悲しさがある。諸行無常だね。

 

で、そういう人間が住んだ家を片付けると当然異常に物が出てくる。ここに住んでいた人間の数は数年前に一人減り、最近もう一人が不在となったが、物を捨てられない人間が一人いるだけで家は簡単に異常になる。そして異常な人間というのは得てして長生きである。ストレスがないんだろう。

カビ臭い家の中からは眼鏡も爪切りも薬も見つからなければ買ってくるのか同じものが10を超えてゴロゴロ出てくるし、使用済みの電池が埃にまみれてうず高く積まれ、箪笥を開ければタグが付いたままの服が200kg以上眠っているし、使いもしない客用の布団、座布団、何の書類かすら不明の紙束、ファイル、新聞、雑誌でできた塊、納戸の奥には未開封の通販産健康器具や壊れた調理器具、謎の業務用巨大掃除機(掃除もしないのに本当に何?)、漬けてみただけの漬物の瓶、もはや消費期限の分からぬ食品などいたるところに放置してあった。

よくもまぁ家を建て直して20年でここまで溜め込んだなと呆れる。収納というより、隙間があればそこにすべて詰め込んで忘れ、また買うことを繰り返す。この手の人種にとって買うこと自体は娯楽なのである。

 

なぜこうなったか?自治体のゴミ捨ての分別が大儀なのだ。昔は燃えるものと燃やせぬものだけで済んだが今はそうではない。細かく分けるとかダルいし無理なのである。分別が出来ないので裏の畑に石を積んで勝手にそこで好き勝手ゴミを燃やしていた過去があり、あまりにも危険なので止めろとそれを破壊されたら拗ねて片付けというものを一切しなくなったらしい。

彼らには趣味らしい趣味はなく、ただ家に存在し、買い物をし、ごく稀に業を煮やした己の娘が遠方からはるばる物を片付けにやってくるのを迷惑そうに横目で見ているだけの人間であった。
そしてこの異常の血統を正しく継いだ異常サラブレッドである父もまた当然片付けなどできずウロウロしてはやりもしない作業の口を出すばかりであり、とうとう私が怒り狂ってデケぇ車借りてこの大量のゴミを捨てに行けと役目を与えた。ここもまた確執がある。

 

かくして膨大な量のゴミ(建付けの家具以外はすべて等しくゴミである)を出し、壁と床が見えるようになり、何度目かの水拭きで幾多の雑巾を葬った結果ようやくその場所は「家」の様相を取り戻した。
もはやこの家は家としての様相を取り戻したとて我々にはケガレ思想により"不浄なもの"という認識が消えない。呪われた家なのだ。一度瞬きをしたらなくなっていてほしいものナンバーワンだが、現実はそうならない。

捨てるには買う以上にお金がかかることを彼らは知らないまま忘れていった。空の家には恩讐も悲嘆もなく、ただ虚無とケガレが残るままである。

 

私はここに住んでいた人たちのことが全く理解できず長く恐怖の対象だったが、「異常」というラベルを張ることで「この人たちは異常だからこういうことを言うんだなぁ」とわずかに理解をすることができた。人は知らないものに対して恐怖を覚えるので、既知のものに置き換えるのがよい。

私にとって血の繋がりというものは薄氷であり価値がないのでこういう言い方をするが、それが不遜と憤る感情を抱くことができる人は恐らく幸せだと思うので、尊敬できるご家族をどうか大切になさってください。

 

この掃除で精神を摩耗し、普段以上に重く出血の状況が異なる生理が来て苦しみ、「自分が今までできていたことは全てまぐれで自分の実力など何一つない」と思い込むバッドステータスが付いて困った。

これもまた「ストレスと生理によるものである」と原因が分かればその苦しみに価値はない。薬を飲み、二度と逆らうなよ……この私に……と悪態をついて滾々と寝た。終わり。